「合資会社まるこ」とは、ムーンクラフト株式会社→コンビ株式会社開発部出身の
丸子敦嗣(以下私)が1998年7月に個人事業として独立開業した
「福祉工房まるこ⇒丸子設計工房」を法人化したものです。
私は,開業以来お客様のニーズに応えるダイレクトな物作りを一貫して行ってきました。
それというのもコンビ株式会社在籍中に開発した製品の多くが、お客様のニーズの80%ほどしか
満足させることが出来なかったことを実感した出来事があったからなのです。
私はこれまでに多くの個人様向けにオーダーメイドの車いすはもちろん、特注の福祉用具や
パラリンピック用の機器を製作販売してきました。
その他法人様向けにはオリジナルの製品開発の受託業務を通じて、技術ノウハウが法人様に残る
開発スタイルを数多く提案し具現化してまいりました。
対外事業としましては2000年、2001年、2003年と3年連続、国内最大の展示会である
国際福祉機器展に出展し、オリジナル製品のコンフォートシート(バケットシート)付き車いす、
受託開発製品の木製車いすは、いずれも予想を上回る反響を得られました。
それというのも当社は既存の福祉用具のプロダクト事業、カスタマイズ事業を通して、車いすとは
どうあるべきかを、常に真剣に考え、具現化してきたからだと自負しております。
当社のポリシーとしてむやみに会社を大きくすることは致しません。
少数精鋭主義、法人個人問わず、私と志を同じくする方との共同事業にのみ注力し、
長く本気で仕事を続けていきます。
少数で業務を行っておりますので、依頼を受けた仕事を、最優先させていただいております。
そのため 資料の送付、見積書の提出が遅れることもありご迷惑をおかけしているかもしれません。
しかしながら、ご縁がありました製品、開発の製作は精魂込めて行っておりますのでご安心ください。
当社の仕事は、中途半端な自己満足に陥らないように、考えた時点では常に100%の
出来を目指し、使用してからの改良に重点を置いたものづくりを心がけております。
既存の業者様で満足出来ない、自分に合ったオリジナル製品や既製品をあうように改造したいという
思いをお持ちのお客様に、ご支持を頂いております。よろしくお願いいたします。
当社は下記のポリシーを守り活動しております。
1.「想いをカタチに」することに全力あげ、技術革新を怠らず日々向上することを目標とする。
2.常に適合性の向上を目指し、お客様のニーズを汲み取り真剣に福祉用具をプロデュースする事。
3.継続性を重要視し、むやみに事業の拡大を図らず、志を共にする仲間と一緒に成長していくこと。
2.会社概要
社 名 | 合資会社 まるこ |
会社所在地 | 埼玉県越谷市宮本町5-39-1 パラシオン越谷109 電話 048-960-2907 FAX 048-960-2917 |
代 表 者 | 丸子敦嗣(まるこ あつし) (昭和41年生、北海道出身、千葉工業大学機械工学科) |
創 業 | 平成10年7月1日 |
資 本 金 | 10,000円 |
決 算 期 | 12月末日 |
主要取引銀行 | 埼玉りそな銀行 北越谷支店 埼玉縣信用金庫 東越谷支店 |
U R L | https://www.maruco.com/ |
E-mail | info@maruco.com |
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3.会社沿革
平成10年7月1日 | 埼玉県越谷市にて個人事業として発足。 屋号 福祉工房まるこ |
平成11年5日1日 | 東京都豊島区へ事務所移転と同時に屋号変更 屋号 丸子設計工房 |
平成12年1月25日 | 東京都足立区へ事務所移転 |
平成12年8月23日 | 資本金1万円の合資会社を諸手続き自力で設立 |
平成12年11月15日 | 埼玉県越谷市花田2-14-12に本社移転 |
平成18年11月1日 | 埼玉県越谷市宮本町5-39-1パラシオン越谷109へ移転 (大家さんの店舗物件売却による、違法の立退きでした。) |
平成20年4月18日 | webサイト大幅リニューアル開始 |
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4.主な取引先
国土交通省建設局 |
埼玉県庁 |
㈱カワムラサイクル | 五十畑鋼管株式会社 |
ヤマハ発動機株式会社 | (有)エコー製作所 |
グーグル合同会社 | カキウチ商事株式会社 |
株式会社オーテックエルコ | 越谷市社会福祉協議会 |
(有)ファトラスタイリング | 大昌産業株式会社 |
(有)三協トランク製作所 | ㈱豊通オールライフ |
板倉溶接工業所 | フランスベットメディカルサービス(株) |
ノーブル家具工業株式会社 | パシフィックサプライ株式会社 |
コンビウェルネス株式会社 | (有)カドワキコーティング |
(有)ベア | (有)北関東オーエックスエンジニアリング |
大学(人間工学系学科,体育系学科) | 一般個人 |
ヤマトフィナンシャル株式会社 | 株式会社Eストアー |
自治会(町内会等) | 株式会社ネットプロテクションズ |
補装具契約済市町村
埼玉県越谷市、吉川市、川口市、さいたま市, 鳩ヶ谷市
千葉県千葉市以外全市町村、東京都小平市, 北海道苫小牧市
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5 主な「歩み」
平成10年 7月 | オーダー福祉用具2点を個人様より初受注 |
8月 | 越谷市社会福祉協議会様より車いすの修理30台初受注 |
8月 | (有)ベア様より遊技場向け常用玩具開発初受託。 |
9月 | 障害者スポーツ用具「投てき台」を個人様より初受注 |
10月 | 舗装具を個人様より(東京都小平市)多摩リハ経由で初受注。 |
11月 | 施設コンサルティング会社より施設向け昇降テーブル開発受託 |
平成11年 8月 | 医療機器メーカより医療機器運搬用機器開発受託 |
平成12年 9月 | 第27回国際福祉機器展へバケットシート付車いすを初出展。 |
平成13年10月 | 第28回国際福祉機器展へオリジナル車いす共に木製車椅子を出展。 |
平成14年 9月 | 第29回国際福祉機器展にノーブル家具工業(株)様と共同出展(同時に中国直輸入低価格車椅子を展示するも低品質により取扱を断る) |
毎年6月 | 越谷市障害者の日記念事業「ふれあいの日」にボランティア参加 |
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6 代表社員 丸子敦嗣 自己紹介
1993年全日本ツーリングカー選手権にて シリーズチャンピオンを獲得した 懐かしの写真です。私はどこでしょうか? | MC-070(ソーラーカー)
|
| 1966年9月22日北海道生まれ北海道育ち 札幌平岸高校卒業 東京にて一年浪人後、千葉工業大学機械工学科入学 卒業後ムーンクラフト株式会社へ就職(バブルの絶頂期) 入社後、BS社F1用タイヤの開発、M社F1プロトタイプ開発、 S社モーターショー用スポーツカーの開発等に携わる。 ソーラーカープロジェクトでは開発兼ドライバーとして 鈴鹿サーキットにてソーラーカーレースに参戦。 1992年後半よりレースエンジニアの手ほどきを宮坂氏より受け 1993年全日本ツーリングカー選手権クラス3においてジャックスシビックのチーフエンジニアとして、最終戦大逆転でシリーズチャンピオンを獲得するも年末ムーンクラフト退社。 レースの本場イギリス(マクラーレン)から転職のオファーがあるも諸事情により断念。 1994年コンビ(株)ウエルネス開発部へ転職 1998年7月オーダーメイド゙福祉機器開発工房 福祉工房まるこを自宅で開業。 以降は会社沿革をご覧ください。 |
良く頂く質問 Q&A
なぜ自宅で開業したのですか? | 成功するまでこの仕事を続ける覚悟で起業したからです。 私はこの仕事を天職と考えております。 ですから、はじめは出来るだけ経費もかけず、自分で出来ることは自分でしようと思っていたからです。現在スペースが狭くなったので事務所を借りています。よろしくお願いします。 |
自宅は越谷にあるのですか? | 自宅は事務所までは自転車で10分の距離にあります。 登記簿上の本店は自宅です。 埼玉県越谷市大沢4-14-25 |
なぜ体の不自由な人のための仕事をしようと思ったのですか? | 外見上は、先天的に左肘が不自由なため、ということもありますが、 内面的な面が大きく、それは小さいときから母から「人の役に立つ仕事をしなさい」と 言われつづけていた影響が大きいと思います。 |
一番初めに設計したのは いつですか? | 中学生の時に自分の家の犬小屋を設計しました。 製作は親戚の建具屋のおじさんでした。グラフ用紙に三角定規で書きました。このとき「図面の通りに作ったら出来たよ!たいしたもんだ!」と誉められたのが今も昨日のようによみがえります。 |
ムーンクラフトで学んだことは 何ですか? | 大学で学んだ機械工学の理論を、現場での実践(溶接はもちろん、FRPなどの積層も出来ます。)を通して設計の基本を身に付けたことです。 |
コンビ株式会社を辞めた きっかけは何ですか? | 介護機器・健康機器の開発を担当をしていたのですが、大量生産しなくてはならないメーカーのマーケティングに疑問を感じ、必要な人へ必要な機器を作りたいと思ったからです。 |
コンビ(株)で何を開発していたのですか? | 左)シャワーチェアー 中)家具調ポータブルトイレ 右)木製ポータブルトイレ 他)特注品(健康関連等) |
尊敬する人は誰ですか? | 税理士として成功している父そして支えていた亡き母、 小さいころから遊び相手になってくれた亡き祖母
物理学のみならずこの世の法則性を教えてくれたアインシュタイン |
趣味は何ですか? | 設計、読書、ゴルフ、レーシングカート、育自、マラソン |
将来の夢は何ですか? | もっと多くの方に当社の存在を知って頂き、縁を頂き、より良い製品を 提供することで、当社のファンを一人でも多く増やすことです。 |
家族構成を教えてください | 妻と子供3人(金魚3匹(2022年6月永眠)、デグー(2017年8月永眠)) |
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素敵な歌(詩)
ここに紹介する詩は、私がこの福祉用具のオーダーメイド事業を創業しようと
思い悩んでいたときに、本などで出会った歌(詩)です。
私は、障害を持ったと方と接するときに必ず、この詩を思い出して接しています。
5年前までホームページに掲載していました。「あの詩を見たら涙が出で止まらない」等の
お母様たちの声を聞いていましたが、いつのまにかページから抜け落ちていまして、
「もう一度読みたいので載せて下さい。」というご意見を頂きました。
パソコンのデータを必死に整理しましたら見つけましたので、再度掲載させて頂きます。
2017年12月25日記
テレビドラマ「コウノドリ」にて紹介された『オランダへようこそ!』を紹介いたします。
「オランダへようこそ」(原題「Welcome to Holland」)
私はよく、『障がいのある子を育てるのってどんな感じ?』と、聞かれることがあります。
そんな時私は、障がい児を育てるというユニークな経験をしたことがない人でも、それがどんな感じかわかるようにこんな話をします。
赤ちゃんの誕生を待つまでの間は、まるで、素敵な旅行の計画を立てるみたい。例えば、旅先はイタリア。
山ほどガイドブックを買いこみ、楽しい計画を立てる。
コロシアム、ミケランジェロのダビデ像、ベニスのゴンドラ。
簡単なイタリア語も覚えるかもしれない。
とてもワクワクします。
そして何ヶ月も待ち望んだその日がついにやってきます。
荷物を詰め込んで、いよいよ出発。
数時間後、あなたを乗せた飛行機が着陸。
そして、客室乗務員がやってきて、こう言うのです。
『オランダへようこそ!』
『オランダ!?』
『オランダってどういうこと?? 私は、イタリア行きの手続きをし、イタリアにいるはずなのに。ずっと、イタリアに行くことが夢だったのに』
でも、飛行計画は変更になり、飛行機はオランダに着陸したのです。あなたは、ここにいなくてはなりません。
ここで大切なことは、飢えや病気だらけの、こわくてよごれた嫌な場所に連れてこられたわけではないということ。
ただ、ちょっと『違う場所』だっただけ。
だから、あなたは新しいガイドブックを買いに行かなくちゃ。
それから、今まで知らなかった新しいことばを覚えないとね。
そうすればきっと、これまで会ったことのない人たちとの新しい出会いがあるはず。
ただ、ちょっと『違う場所』だっただけ。
イタリアよりもゆったりとした時間が流れ、イタリアのような華やかさはないかもしれない。
でも、しばらくそこにいて、呼吸をととのえて、まわりを見渡してみると、オランダには風車があり、チューリップが咲き、レンブラントの絵画だってあることに気付くはず。
でも、まわりの人たちは、イタリアに行ったり来たりしています。
そして、そこで過ごす時間がどれだけ素晴らしいかを自慢するかもしれないのです。
きっと、あなたはこの先ずっと『私も、イタリアへ行くはずだった。そのつもりだったのに。』というのでしょう。
心の痛みは決して、決して、消えることはありません。
だって、失った夢はあまりにも大きすぎるから。
でも、イタリアに行けなかったことをいつまでも嘆いていたら、オランダならではの素晴らしさ、オランダにこそある愛しいものを、心から楽しむことはないでしょう。
“お誕生日の物語”<R・シュタイナー>
・・・神様のもとの天の国には星の神殿があり、そこに天の子供たちがすんでいます。
そのうち誰かが人間の子供になることが決まると、星の光の糸で織った衣を羽織り、
その子の守護天使に導かれ、地球を目指して星星の間を旅していきます。
途中太陽のお城では、その子の姿の描かれた絵が贈られ、
子供の心の奥深くに大切にしまわれます。
最後に月の国についた子供は
< まもなく私は地球への扉をあける。おまえは地上に生まれるのだ。
おまえの背にある黄金の翼と、その美しい天の衣を、私はしばらく預かっていよう。
お前が一生懸命地上で生きて、再びこの門を通って天国へ帰ってくるまで。
さあ、お行きなさい・・・>
という声を聞き、まもなく地球の扉が開きました。
あたりが明るくなり子供が目を覚ましたとき、
天国の子供は人間の赤ちゃんとなり、元気な声をあげました。・・・
”なぜこの子らは世の光なりか”<E・マンミラ>
会議が開かれました 地球から、はるか遠くで。
”また次の赤ちゃん誕生の時間ですよ”
天においでになる神様に向かって、天使たちはいいました。
この子は特別の赤ちゃんでたくさんの愛情が必要でしょう。
このこの成長はとてもゆっくり見えるかもしれません。
もしかして一人前になれないかもしれません。
だからこの子は、下界で出会う人々に、とくに氣をつけてもらわなければならないのです。
もしかしてこの子の思うことは、なかなかわかってもらえないかもしれません。
何をやってもうまくいかないかもしれません。
ですから私たちはこの子がどこに生まれるか、注意深く選ばなければならないのです。
この子の生涯がしあわせなものとなるように。
どうぞ神様
この子のために素晴らしい両親をさがしてあげてください。
神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を。
その二人はすぐには氣付かないかもしれません。
彼ら二人が自分たちに求められている特別な役割を。
けれども天から授けられたこの子によってますます強い信仰と、豊かな愛を抱くようになるでしょう。
やがて二人は、自分たちに与えられた特別の、神の思し召しを悟るようになるでしょう。
神からおくられたこの子を育てることによって。
柔和でおだやかなこの貴い授かりものこそ、天から授かった特別の子供なのです。
お読みいただきありがとうございました。